50代は墓守世代、墓守で人生が花開く〜墓守の選び方〜

墓守世代とは 葬儀
スポンサーリンク
スポンサーリンク

はじめに 遺産はもらえず、墓守に就任

私の場合、「あんたらが引き継ぐのは墓だけや。おばあちゃんの遺言で、遺産は、私らで分けるんでな。お婆ちゃんは、その墓には入らないのでね」。この言葉、以降、親族との縁は途絶え、私の墓守ライフはこうして始まりました。といっても、今住んでいるところから車で3時間ほどの場所に墓があるため、お盆、彼岸に墓参り、墓掃除に行くくらいです。

人は都合のいいもので、親がなくなれば、遺産は平等に分け、墓守は長子がする。そんな(;´д`) ところが多いのではないでしょうか。家督制度がなくなったとはいえ、理屈通りにいかないのが墓守です。「なんだかんだと言っても長男(長女)が墓守をするのが筋だろう」。そう言われれば、なかなか反論できないものです。

墓守を進んでできる人は、良縁、金運に恵まれます

家族にはいろいろなケースがあり、墓守事情は家でことなることでしょう。一人息子と一人娘の結婚などは、夫婦の両親が他界したら、ひとつの家で二つの家の墓守をすることになります。

これに、代々墓や一代墓など、墓のタイプによって、ほぼ会うことのない親族が口を挟んでくるケースもあります。それだけに単純に決められないケースもあります。

墓守を誰にするかという問題に関しては、実は、したい人がすることが最も好ましいといえます。

墓守は面倒、費用がかかるという考え方から避ける人もいるようですが、先祖に敬意を持って墓守をする人は、自ずと幸せな人生を歩むことになります。

そうせずには、いられないから墓守をするだけなのです。これは自然の法則と同じです。高いところから下に向かって水が流れるように、祖先を敬い、墓守を丁寧に行う行為を習慣にしている人は、良縁や金運に自ずと恵まれます。

墓守が嫌な人は、良縁や金運に恵まれないかと言えば、それは、そういうわけでは、ありません。

先祖を大切に思い、墓守を実践する人は、他のことにおいても、人のことを大切にし、縁を繋げてゆく傾向があるから、良い運を自然と引き寄せる力を体得するだけの話です。

墓守ができない人は、それがないだけのことなのですから。

墓守に誰も手を上げない場合はそのままでいい

墓というものは、必ずしも守らなければならないものではありません。もし途絶えるならそれも自然のうちです。

親族会議で、墓守をすることに誰も手を上げず意見がまとまらないのならば、そのまま放置した方がよいでしょう。

いずれ自然に還ります。それでも、思い出したように誰かが墓参りをすることもあるでしょう。

現在、明治時代より昔の墓に参るという家はどれくらいあるでしょう。

昔は土葬という事情もあったでしょうが、自然のうちに消滅するにまかせるのも方法のひとつと言えるのです。

人に押し付けるのがもっとも危ない

冒頭に書いたように、墓守選びでもっとも避けるべきことは、自分が嫌だからという理由で、人に押し付けることです。

押し付けるというのは、したくない人に役割を与えることです。お墓参りも墓守も、本来は、先祖への敬い、尊びの心から発せられるものです。

押し付けられても、後に改心し墓守ができる喜びに気づく人は、問題ありませんが、いつまでもそれを愚痴る人は、不自然な人生を歩むことになります。

むしろ、墓守をオミットしたほうがましです。嫌ならしなければ、それがよしなのです。 

和をもって決めることがよい

墓守をしたくない、でも誰かにしてほしい。そう考える人だけのご家族があるかもしれません。話し合いの場に血縁の薄い人が混じっているケースもあるでしょう。

仮に親族会議をして決めるなら、参加者が、年代わりで墓守をするのもひとつの方法です。各家庭の負担は少なくなりますし、責任の押し付け合いもなくなります。極めて現代風といえるでしょう。

墓のお参りがしにくい人ばかりの場合

親族が、墓から遠い人ばかりで、墓守ができない場合は、墓を共同墓地に合祀する、永代供養専門の墓に移築するなどの方法があります。

しかし、墓とは本来、生きている人の都合で動かすものではないということも心に戒めておきましょう。墓もお参りもどちらも「ないよりある方がいい、しないよりした方がいい」という俗世の基準で決めるものではないからです。

タイトルとURLをコピーしました