現世の中に本願を見る方法
現世にいると、ふと思うのが、自分は何をしたいのだろうという疑問。脳が考えるさまざまなことではなく、本願と呼ぶ摩訶不思議なもの。
こころとからだという言われ方をするが、人のいうこころとは、脳が考える感情やら欲求やらと思うのだが、仏教でいう心は、それとは違う。たぶん、心は、頭でも心臓でもなく、全身に宿っているものだろう。
こころは、脳や体が考えるように思い通りになるものではなく、もうすでにあるもので、行くべき方角、すべきことを全て定まている。
人は現世において、こころが命じるままにあれこれしているに過ぎない。人生が自分の思い通りにうまくいく、いかないなど、こころには全く関係のないことである。
人間界も自然界の一部なので全く関係ないというのは外れているかもしれないが、こころはもっと偉大な存在なのである。それを一人一人の人間が有しているから、自然の法則が宇宙に存在する。
みんなこころを宿して現世にいるのであるから、それは、本来、驚異的に尊重すべきであるのだが、人の精神(脳の働き)がなかなか邪魔をする。
人のこころはどこにあるのだろうかと考えると、基本的には体の隅々にある、気が及ぼすところにもある。そんなものである。
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